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水戸地方裁判所 昭和46年(ヨ)224号 判決 1972年11月16日

債権者

石崎照二

右訴訟代理人

小林英雄

債務者

茨城交通株式会社

右代表者

竹内幹三

右訴訟代理人

滝田時彦

主文

本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一  債権者

(一)  債権者が債務者の従業員である地位を有することを仮に定める。

(二)  債務者は、債権者に対し昭和四六年一〇月一日以降本案判決確定まで毎月二四日限り金七万三〇二一円を仮に支払え。

(三)  訴訟費用は債務者の負担とする。

二  債務者

主文同旨。

第二、当事者双方の主張

一、申請の理由

(一)  債務者は主として鉄道およびバスによる旅客運送業を営なむものであり、債権者は昭和四四年七月一〇日債務者会社に雇われ、自動車運転士として勤務してきたものである。

債務者は、同四六年九月二七日債権者に対し、就業規則第六九条第一号に定める「故意に会社の規則または達示に違反したとき」、同条第四号に定める「不正行為があつたとき」の各懲戒事由に該当するものとして、就業規則に基づき懲戒解雇に処する旨の意思表示をなした。(以下本件解雇という。)<中略>

二  <中略>

(二) <中略>

(1)  債権者は次に記載するとおり所持金証明書を携帯せずに乗務した上現金で飲食物、煙草を購入した。

(イ) 昭和四六年四月五日朝日町御殿山線六三―二交番に乗務中、午後三時一五分から四時までの水戸駅前における折返し時間を利用して水戸駅前のおかめ食堂で食事した。

(ロ) 同年四月一九日桜川西団地線六九―一交番に乗務中、午前八時二〇分ころ水戸市河和田町地内の桜川車庫で折返し時間を利用して休憩室内無人スタンドから現金でゆで卵を購入した。

(ハ) 同年四月二二日桜川西団地線七二交番に乗務中、水戸駅前折返し時間中の午後六時三〇分ころ水戸駅構内ホームで立ちそばを喰べた。

(ニ) 同年六月一四日桜川西団地線六八―二交番に乗務中、午後四時過西団地入口停留所近くのいずみ屋酒店前でバスを停め、車掌に購入を依頼して一〇〇円渡し、煙草を買つてこさせた。

(ホ) 同年六月二二日偕楽園線七六交番に乗務中、午後四時三〇分から五時までの水戸駅前における折返し時間を利用して水戸駅構内ホームの立ちそばを喰べに行つた。

(ヘ) 同年七月一九日朝日町御殿山線六四―二交番に乗務中、午後三時一三分から四時までの水戸駅前における折返し時間を利用して、車掌に対し煙草の購入を依頼して一〇〇円を渡し、水戸駅待合室内の売店から煙草を買つてこさせた。

(ト) 同年八月九日偕楽園線七六交番に乗務中、午後四時三〇分から五時までの水戸駅前における折返し時間を利用して水戸駅構内ホームの立ちそばを喰べに行つた。<後略>

理由

一債権者主張の申請理由第一項の事実、ならびに債権者が昭和四六年八月二六日午前六時三五分茨大前営業所発勝田経由東海駅行バスに乗務したが、その際当事者のいわゆる所持金証明書を携帯していなかつたこと、勝田駅で発車時刻調整のため約五分間停車したこと、この停車時間中、債権者と同乗勤務中の車掌益子一枝が債権者の要求に応じ車内に設置してある金銭両替器を操作して五〇円硬貨一枚と一〇円硬貨五枚を取出して同人に手交し、債権者はこの現金をもつて煙草二個を購入したことは当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すると、次のような事実が疏明される。

(一)  債権者は昭和四六年八月二六日午前六時三五分茨大前営業所発勝田経由東海駅行のバスに益子車掌とともに乗務していた。その際一万円札一枚を所持していたが、所持金証明書は携帯していなかつた。同日午前七時一五分頃勝田駅前に到着し、発車時刻を調整するため約五分間停車したが、その際、債権者は喫煙を欲し附近の店で煙草を購入しようと考え益子車掌に対し、車内に設置してある金銭両替器から一〇〇円を取出出し貸渡すことを要求した。両替器の管理責任者である益子車掌は当時車内には三名の乗客がいた手前もあり暫時躊躇したが、再三の要求に抗しきれず前示のように両替器を操作して五〇円硬貨一枚一〇円硬貨五枚を取出して債権者に手交した。債権者はこの現金を使用して煙草二個を購入し車外(昇降口附近)で喫煙した。その後債権者は東海駅前で折返し運転をして同日午前九時四〇分頃茨大前営業所に帰着した。これより先の同日午前九時五分頃一乗客と称する者が電話により、同営業所長黒沢松寿に対し、債権者を名指して前記事実を通報した上同所長の管理者責任を問うた。さような事情があつたので、同所長は帰着報告を終えた益子車掌を呼び寄せ「今朝勝田駅前で何かなかつたか。」と質したところ同人は前記事実を率直に報告した。一方債権者は前記営業所に帰着後車内で約二〇分間一車掌と雑談した後食事を摂るため附近の食堂に赴いたところ、同日午前一一時過頃黒沢所長から営業所に呼出され、同人から「今朝勝田駅前で何かなかつたか。」と尋ねられたが、前記事実を報告しなかつたので、更に同所長は「勝田駅で車掌から一〇〇円を出させて煙草を買つたのでないか。このことは乗客から連絡があつたし、車掌からも事情をきいている。」旨述べて該事実の有無を尋ねたところ、債権者は始めてこの事実を認めた上、その頃前記食堂で入手した前記一万円札の釣銭の中から金一〇〇円を同所長に手交した。そこで黒沢所長は右の顛末を茨大前管理事務所長平松英夫に報告したところ、同人から、とりあえず本人自筆の報告書を徴するよう指示されたので、債権者に対し始末書の草稿を交付しこれを清書して提出するよう求めた。債権者は右草稿に基づき一部附加して清書し、黒沢所長宛始末書(疏乙第四号証)を作成し、これを同月二八日朝同営業所の中宮運転係に提出した上、バスに乗務したが、その際蓮乗寺停留所のところで現金で牛乳を購入したところ、同乗務中債権者は所持金証明書を携帯しておらなかつた。

(二)  他方、黒沢所長は同月三一日平松管理事務所長の指示を受け、同日債権者に対し退職を勧告したところ、債権者は同年九月一日営業所に平松所長を訪ね右の勧告については翻意するよう嘆願したが、同人の説得により同月七日付で退職願を提出する旨約して辞した。ところが同月四日になつて債権者は黒沢所長に対し、退職願を提出する意思のないことを伝えた上懲戒委員会の審査を受けたい旨申出た。かくして懲戒委員会は同月一六日から同月二七日迄の間前後四回に亘つて開かれ、益子車掌、平松所長、黒沢所長が参考人として尋問されたほか、債権者も第三回委員会に出頭して弁明するところがあり、審議の結果全員一致をもつて懲戒解雇処分を決定し、債務者はこの決定に基づき同月二七日債権者を懲戒解雇に処した。

ところで、債権者が前述のように、益子車掌に要求して両替器から硬貨を取出させこれを自己に交付させた行為については業務上横領罪の共犯が成立することは明らかである(刑法第二五三条第六一条第一項第六五条)。そうであるとすれば、右の行為は就業規則第六九条第四号に該当するものといわなければならない。また八月二六日および同月二八日の両日、それぞれ所持金証明書を携帯することなく私金を所持して乗務した行為は、就業規則第七条、自動車乗務員服務心得第六章6の(3)に違反し、就業規則第六九条第一号に各該当することも明らかである。

三ところが、<証拠>によれば、就業規則の懲戒条項は、四項目の懲戒事由を定めた第六九条、懲戒処分を戒告、譴責、減給、出勤停止、降職、解雇の六種類に分類した第七〇条および懲戒の手続を定めた第七一条の三箇条だけであり、各種懲戒処分の一般的基準については何ら明らかにするところがない。したがつて各個の具体的懲戒処分を行なう場合、たとえば懲戒解雇の場合についてみれば、懲戒事由に該当する行為が、果して懲戒解雇に適する程度に重大なものであるかどうかにつき、その客観的妥当性の有無を検討することが必要であり、その結果妥当性を欠く場合は、右の解雇は懲戒権の濫用であり無効たるを免れないものと解すべきである。これを本件について考えてみることとする。

(一)  <証拠>を総合すると、債権者は事実摘示二、(二)のうち(1)の(イ)ないし(ト)に記載したとおり昭和四六年四月五日から同年八月九日までの間に前後七回に亘りバス乗務中に飲食店で食事をし、あるいは飲食物、煙草を購入したが、その都度私金から代金を支払つているにもかかわらず、いずれも私金の所持につき茨大前営業所運転係の許可を受けずしたがつて所持金証明書を携帯していなかつたこと、および以上の事実は前記懲戒委員会においても提出された資料に基づき審議されたことが疏明される。そして債権者の前記各行為が前にも触れたとおり就業規則第七条自動車乗務員服務心得第六章6の(3)に違反することはいうまでもない。

そこでいわゆる所持金証明書制度について考えてみる。<証拠>によれば、就業規則第七条は、「乗務員は就業時間中私金を所持してはならない。但しやむをえない場合所属長の許可を受けたときはこの限りでない。」旨規定していることが疏明され、また<証拠>によれば、自動車乗務員服務心得は、運転士については第六章4の(6)および6の(3)に、車掌については第九章4の(4)および6の(3)に各規定するところがあり、いずれも許可なく私金を所持して乗務することを禁止し、私金を所持して出勤した場合は運行管理者またはその代務者に保管を委託し、やむをえない理由で所持する必要があるときは(たとえば食事代の費金)、所属長、同人不在のときは運行管理者またはその代務者の許可を受け、許可証とともに所持する建前となつていることが疏明される。右の許可証が当事者のいわゆる所持金証明書であることは弁論の全趣旨に照らし明らかである。なお右の所持金証明書制度の茨大前営業所における具体的運用についていえば、運転係が運行管理者(同所長)の代務者として乗務員から現金の呈示を受けて確認した上、備付の許可証用紙に所要事項を記入し許可印を押捺して交付する建前となつているが、混雑する場合などは乗務員自ら所要事項を代筆した上運転係から許可印の押捺を受けて所持していたことが、<証拠>により疏明される。しこうして、<証拠>を総合すると、次の事実が疏明される。すなわち

債務者は、旅客運送事業における運賃、料金の収納を確保する目的のもとに、往時は鉄道乗務員に対する身体検査、乗務中のバス車掌に対する料金収納鞄の検査等を実施してきたが、このような方法は直接人格権にもかわることなので漸次廃止されるにいたり、さらに乗務員が乗客から受領した運賃、料金を乗車券と照合した結果、余剰を生じた場合この余剰金は債務者の帰属とし、不足を生じた場合は当該乗務員がその不足額を弁償する制度も永年に亘り実施されてきたのであるが、そのうち不足金弁納制度は昭和三四年一一月労使折衝の結果、廃止されることとなり、その後昭和三六年中、大宮営業所所属乗務員および水戸営業所所属乗務員の各料金集団横領事件が相次いで発生したが、債務者幹部が乗務員の教育指導に努力した結果、債務者の乗務員に対する信頼は漸く回復され、その後鉄道乗務員の所持品検査などのことも廃止されるにいたつた。

ところで、バスの乗務員は元来上司の直接の監督をはなれて単独で(ワンマンカーの場合)または運転士とともに(ツーマンンカーの場合)乗務し、料金収納の業務を担当するのであるから、料金収納を確実ならしめるためには、乗務員の業務に対する高度の誠実性が要求されることはいうまでもないが、<証拠>によれば、債務者が乗車券方式にかえて整理券方式を採用するに及び、料金の収入額に関する証憑書類は完全に姿を消すこととなり、乗務員に対する誠実の要求度はさらに切実なものとなつてきたのであつて、さればこそ債務者は乗務員に対し、入社時には就業規則、自動車乗務員服務心得に関する教育を、毎朝午前九時三〇分の始業点呼時には自動車乗務員服務心得に関する教育を行なうなどして、服務紀律につき指導を実施してきたことが疏明される。

以上のような諸般の事情を背景として、所持金証明書制度につき検討を加えてみると、証人黒沢松寿も証言するように、その目的は公私の混同を排して職場秩序を維持することにあると解せられるが、その積極的な意義はむしろ、乗務員の自発的申告によりその業務責任に対する自覚を表明し債務者の信頼に応えるという点にあるものと認めるのが相当である。以上の点にかんがみるとき、債権者が前述のように僅か数カ月の間に債務者に対する背信行為を反復累行したことはその情状重きものといわなければならない。

(二)  債権者は上来説明したように、八月二六日にも前同様の背信行為に出たばかりでなく、遂に前述のように乗客三名のいる車内で公金の着服を敢行したのである。もつともその着服した金額は一〇〇円にすぎないが、バスによる旅客運送事業における収益は料金収入に依存しているにもかかわらず、乗務員の料金収納の業務は前述のように上司の直接の監督をはなれて遂行されるばかりでなく、僅か一〇〇円であるからといつてこれを経視すると、それより少額の料金の軽視にも連なり、他の乗務員に対する影響も決して無視するわけにはいかないのであつて企業秩序の上から考えても看過することは許されないものといわなければならない。

(三)  のみならず、債権者は前示のとおり八月二八日始末書を提出して、八月二六日における前記服務紀律違反の事実を認め、将来二度と繰返さないことを誓約しておきながら、同日またもや前同様の違反行為を行なつているのである。

以上のようなわけで、債権者、債務者間の信頼関係は債務者の度重なる背信行為により最早維持しがたい状態にたちいたつているばかりでなく、企業秩序の上に及ぼした影響もまた決して看過するわけにはいかないのである。してみると、債務者が就業規則第六九条第一号第四号に定める懲戒事由に該当するものとして同第七〇条を適用して行なつた本件懲戒解雇は、債務者においてやむをえない措置としてなされたものとみることができるから、これをもつて懲戒の濫用と認めることはいまだ困難である。

四なお、本件懲戒解雇の妥当性に関する債権者の主張について、以下附言する。

(一)  申請理由第三項の(1)について

債権者は、本件懲戒解雇は、茨大前営業所長黒沢松寿が債権者に対して退職願の提出を執拗に迫つたが、債権者がこれを拒否したため、その報復として懲戒処分に藉口して行なつたものである旨主張するが、さような事実を肯認できる疏明は存在しない。

(二)  同じく(2)について

<証拠>を総合すると、債務者に勤務する全乗務員数は約一、〇五〇名、そのうち茨大前営業所所属乗務員数は約一九〇名であり、以上のうち若干の者が所持金証明書を携帯せずに私金を所持して乗務したことが疏明されるが、債務者が右の事実を知りながらこれを放置したという点については何等の疏明資料も存在しない。かえつて債務者は、前述のとおり乗務員に対し、入社時および始業点呼時に服務紀律を教育指導し、所持金証明書制度の励行を求めていたものである。

また、金銭を取扱わないツーマンカーの運転士に対して所持金証明書の制度を実施する必要はない旨の主張は一個の見解であろう。

しかしながら所持金証明書制度の存在意義については既に説示したとおりであつて、ツーマンカーの運転士も乗務員として、同乗の車掌はもとよりのこと他の乗務員に対する高度の連帯意識のもとに自らを戒めて職場秩序を維持することによつて企業収益の確保を志向すべきであるという見地に立つときは、前記制度をツーマンカーの運転士に対しても実施する意義を見出しうるのであつて、<証拠>によれば、現に他の同種企業中、運転士全員につき前同様の制度を実施しているものがあることが疏明されるのである。

(三)  同じく(3)について

債権者は、同人が昭和四六年八月二六日益子車掌に対し一〇〇円の交付を要求した際、茨大前営業所帰着後直ちに返戻する意思を有していた旨主張するが、かりにそのとおりであつたとしても前述の刑責を免れるものではないし、情状の上で特段の意義を有するものではないことは上来説明したたところから明らかであろう。

(四)  同じく(4)について

益子車掌が昭和四六年八月二六日、乗務中のバスに設置してある金銭両替器から一〇〇円を取出し債務者に手交した行為が業務上横領罪を構成することは前述したところから明らかである。したがつて前顕各証拠によつて疏明される情状を斟酌しても同人に対し何等の懲戒処分も行わなかつた債務者の態度には疑問がなくもない。しかしそうであるからといつて直ちに債権者に対する本件懲戒解雇が正当でないものと断ずるわけにはいかないのであつて、このことは上来説示したところから明らかであろう。

つぎに、<証拠>を総合すると、債務者の水戸営業所所属乗務員辻本渉、米田実および渋谷栄一が昭和三六年一〇月二四日何れも業務上横領(同新聞は同人等は何れも車掌と共謀の上毎月一人一万円から三万円前後を横領したと報じている。)の被疑者として逮捕されたこと、それにもかかわらず債務者は同人等に対し懲戒解雇を行わなかつたことが疏明される。しかしながら他方、<証拠>によれば、同人等は結局不起訴となり、債務者としても業務上横領の事実については確証が得られなかつたこと、しかしながら前記のように新聞で報道され債務者の名誉を毀損した等の理由により、辻本は降格、ほか二名は何れも出勤停止一〇日の各懲戒処分を受けたことが窺われる。したがつて同人等に対する懲戒と本件懲戒とを比較してその軽重を論ずることに特段の意議を見出しえないのである。

(五)  同じく(5)について

債務者は、前述のように昭和四六年八月二六日における債権者の行為につき同人に命じて始末書を提出させたのであるが、就業規則の懲戒条項に、始末書の徴取を内容とする懲戒処分は規定されていないこと前述のとおりであり、また<証拠>によれば、労働協約の上でも右のような懲戒処分は定められていない。以上の事実と前記始末書の文意を合わせ考えると、債権者から前記始末書を徴したのちに本件懲戒解雇を行なつたからといつて、債権者のいわゆる二重の処罰を意味するものでないことは明らかであろう。

五以上要するに、債務者が債権者に対して行なつた本件懲戒解雇は有効であるから、その無効であることを前提とする債権者の本件仮処分申請は、被保全権利についての疏明を欠くというほかなく、保証をもつて疏明に代えることも相当でないから却下すべきである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(石崎政男 長久保武 水口雅資)

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